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医療における苦情解決に関する考察 ~「患者の権利オンブズマン」の18年から医療における苦情解決に関する考察 ~「患者の権利オンブズマン」の18年から

更新日:2018年9月27日 ページ番号:0000480

 保健管理学研究室 平野 亙

1.はじめに

 1994年3月にオランダで開催された「患者の権利に関するWHOヨーロッパ会議」において「ヨーロッパにおける患者の権利の促進に関する宣言」(以下WHO宣言)が採択され、その末尾、条項6.5に、以下の規定が掲げられました1)。
 「患者が自己の権利が尊重されていないと感じる場合には、苦情申立ができなければならない。裁判所の救済手続に加えて、苦情を申し立て、仲裁し、裁定する手続を可能にするような、その施設内でのあるいはそれ以外のレベルでの独立した機構が形成されるべきである。(中略)患者は、自分の苦情について、徹底的に、公正に、効果的に、そして迅速に調査され、処理され、その結果について情報を提供される権利を有する。」
 当時欧米諸国では、患者の権利保障のための機構が整備されていましたが、苦情解決のための公的な機構は日本の医療社会には存在せず、公的な紛争解決手段は裁判以外に存在しないうえに、裁判も患者・家族の辛い思いや再発防止の願いの受け皿とはなりえませんでした。そこで、裁判外苦情解決を図るための第三者機構として、ボランティアによる民間組織「患者の権利オンブズマン」が設立されました。1999年から「苦情から学ぶ医療」を旗印に活動を開始したNPO法人「患者の権利オンブズマン」(以下、NPOオンブズマンと略称)は、18年にわたり苦情相談や苦情調査の活動を続けてきましたが、2017年5月に解散してその幕を閉じました。
 本研究は、NPOオンブズマンの活動の概要を報告するとともに、苦情調査報告を分析して患者の権利に関する課題について考察するものです。本研究に使用したデータはすべて、NPOオンブズマンの刊行物や研修資料として公表されたものを資料としており、その素材である相談記録や苦情調査に関する情報の公開については、相談開始時にNPO法人が相談者からの同意を文書で得ています。

2.「患者の権利オンブズマン」の18年間の活動

 1999年6月20日、福岡市で「患者の権利オンブズマン」が創立され、12月10日にNPO法人の認証を受けました。NPOオンブズマンの特徴は、すべての活動を無償ボランティアが担い、市民と法律・医療・福祉等の専門家が協働することにありました。活動の中心は、市民ボランティア(市民相談員)と法律家ボランティア(法律専門相談員)が協働して相談を受ける面談相談で、18年間で計6,621件の相談を受けました。面談等の支援を行っても苦情が解決しない場合は、「苦情調査」の実施を申し立てることができました。NPOオンブズマンには「苦情調査申立権」を体現するための「オンブズマン会議」が設置されており、法律や医療・福祉の専門家と市民がボランティアとして調査活動に従事しました。

3.苦情調査の分析が示す患者の権利に関する課題

 オンブズマン会議の実施した苦情調査は全部で20件であり2,3)、調査の対象となった事案の診療内容や診療科は多岐にわたり、外形的に特徴的な傾向は認められませんでしたが、苦情の内容や発生原因として究明された事柄には共通点が多く見られました。

3-1.インフォームド・コンセント原則の履行に関する課題

 苦情の原因の多くは、医療者と患者・家族のコミュニケーションや合意形成の場面に発生しており、苦情調査20件中13件(65%)でインフォームド・コンセントが重要な争点でした。患者の自己決定権が最高裁判決で法的権利として確立された翌年の2001年以降に限っても、17件中11件(64.7%)が相当します。
 インフォームド・コンセントに関する問題としては、まず医療者からの説明の欠如を含む同意のない医療行為が6件、そして情報提供が不完全なために患者が自ら考え自由に意思決定できなかったという事案が7件あり、多くの場合で治療に伴う苦痛や不利益に関する医師の説明が十分でない場合に苦情を形成していました。自己決定権が侵害された極端な例の一つが、緩和ケア病棟に入院した末期がん患者に対して骨折予防の名目でコルセットによる行動抑制と薬剤による抑制が行われ、苦痛を訴えた患者の意向が「わがまま」と無視された事案でした。この事案では、緩和ケア病棟という患者のQOLが優先されるべきケアの場でありながら、患者の意向を無視して自身の治療方針を強制することを正当と主張し続ける医師の態度に疑問を感じたため、相手方病院の「患者の権利」規定を調査したところ、入院案内に「決める権利、守る義務」として、患者は「十分な情報や説明を受け理解した上で、提案された診療計画などを自らの意思で決める権利があります。」と規定されていたものの、続けて「しかし、それらに関する指示を守っていただく義務があります」と明記され、自己決定権が正面から否定されていました。
 患者は症状や病名に様々な苦痛や葛藤を抱いて診療に向き合うものですが、苦情調査事例の中には、患者の不安が放置されたまま同意文書に署名し治療を受けて結果に不審や不満が残った事案や、疑問を抱いた患者側に医師の勧める治療方針を納得させるような働きかけや不適切な誘導が看護師などによって行われ、患者が主体的に選択できるような支援がなかった事案が存在していました。患者の自発的な意思決定はインフォームド・コンセントの成立要件の一つとされていますが、不安や疑問を抱えたままでは患者が真に自発的な意思決定を行うことが困難であることが示唆されており、患者の意思形成の過程で、患者が抱く疑問や不安など様々な心理的課題への慎重な配慮と支援が必要であることが浮き彫りにされました。

3-2.医療機関における苦情解決体制の不備

 苦情調査事例20件のすべてで、相手方医療機関に苦情解決システムが不在、または機能していませんでした。患者や家族が苦情を訴えたときに、主治医がそのまま対応して第三者が調整に入っていないケースや、事務職員などが対応に当たっても苦情解決のための機能をはたしていなかったケースがほとんどです。たいていの医療機関は何らかの相談窓口を設けていますが、苦情調査事例では、相談窓口があっても、患者の苦情は、権利侵害や患者・家族の苦しみの表明だとは理解されず、ただの言いがかりであるかのように「処理」されており、苦情の背景にある事実関係を調査したり、苦情から医療機関の課題を発見して解決に導く努力をしたと認められるケースは一例もありませんでした。

4.考察

 苦情調査を行うことによってはじめて苦情の発生原因が明確に示され、改善すべき点の勧告・提言が行われました。苦情解決には調査機能が不可欠であり、NPOオンブズマンはその機能を果たしたことによって、日本の医療現場における課題を明示するとともに、苦情解決方策の実現可能性を示したと考えられます。
 苦情調査が行われた事案では、苦情の発生原因が明確になり、改善すべき点について勧告や提言が行われましたが、上述のとおり、苦情の発生原因の多くは患者の権利、とくに自己決定権の侵害に関するものであり、これらは臨床における医療倫理すなわち臨床倫理の課題ということもできるでしょう。オンブズマン会議には、臨床経験豊かな医療・看護の専門家もいましたが、苦情調査が進行して事実関係が明確になるにつれ、医療者として「ありえないことが起きた」という感覚を抱くことが珍しくなかったようです。当該機関以外の医療専門職がありえないと考えることに、当事者は疑問さえ抱いていなかった。このことは、苦情調査で取り扱った事例のような医療現場の抱える矛盾や問題が、医療慣行の中に埋没して、医療者自身では倫理的に大きな問題の存在に気づかないことが多いことを示しています。
 今日、臨床倫理委員会をもつ医療機関は少なくないですが、筆者自身の経験からは、医療機関の実施する臨床倫理コンサルテーションは医療スタッフに対する支援という性格を持ち、スタッフからの問題提起により実施されることが多いと推測されます。ということは、医療者が疑問や問題を感じなければ、倫理コンサルテーションや臨床倫理委員会での議論の対象にさえならない可能性が高いということです。もしそうであるならば、患者の権利の観点からは、臨床倫理コンサルテーションなどを活用したとしても、医療機関内部での問題解決には限界があるということになります。
 苦情調査を実施して、我々が理解したことの一つは、第三者の客観的な分析がないと、医療のような専門職者は自らの誤りに気づきにくく、また客観性こそが誤りを認める契機になるということです。そして客観的事実に基づく提案が、診療業務に忙殺される医療従事者に、患者の権利という視点から改めて診療の質や患者との接し方について考える機会をもたらす可能性を持つと考えられます。
 医療における苦情や倫理問題のある部分は、患者と医療提供者の関係性の中から生じています。そのとき、第三者の介入は当事者間の抵抗を和らげ、対等な会話の機会を保障することができることを我々は経験しました。問題解決における緩衝役の存在は、患者のみならず医療機関にとっても有用と考えられます。
 WHO宣言は、苦情解決のために施設内と施設外の二つのシステムを提案しています。医療機関側のシステムのひとつとして、厚労省が「医療対話推進者」の設置を推進していますが、施設外のシステムは未だ構築されていません。今後の日本の医療に、実効的な苦情解決のための第三者機構を構築することが、患者の権利の保障と促進の一助となると考えられます。そしてその第三者機構には、社会福祉法が福祉事業に関して規定したような制度的保障が不可欠と考えられます。

<文献>

  1. 世界保健機関ヨーロッパ地域事務局 河野正輝監修・久保井摂訳『ヨーロッパにおける患者の権利の促進に関する宣言 原文対訳』、患者の権利法をつくる会全体事務局、1995年
  2. 患者の権利オンブズマン全国連絡委員会『患者の権利オンブズマン勧告集 -苦情から学ぶ医療・福祉を目指して』明石書店、2007年
  3. 患者の権利オンブズマン全国連絡委員会『新版 患者の権利オンブズマン勧告集 -最新事例で検証する患者の権利の現状』明石書店、2017年